MLIとは何か、なぜ必要になったのか
MLIは、正式には「税源浸食及び利益移転を防止するための租税条約関連措置を実施するための多数国間条約(Multilateral Convention to Implement Tax Treaty Related Measures to Prevent Base Erosion and Profit Shifting)」といい、一般にMultilateral Instrumentの略称であるMLIと呼ばれています。
MLIの最大の特徴は、新しい二国間租税条約を作るのではなく、すでに存在する多数の租税条約について、BEPSプロジェクトで合意された租税条約関連措置を一括して導入できる点にあります。従来であれば各国との条約を一つずつ改正する必要がありましたが、MLIによって多数の条約を同時かつ効率的に変更することが可能になりました。
OECD・G20のBEPSプロジェクトでは、多国籍企業等が国ごとの税制や租税条約の違いを利用することによって、所得がどの国でも十分に課税されない状態や、本来の経済活動が行われている国から利益が移転される問題への対応が検討されました。その結果、租税条約についても、ハイブリッド・ミスマッチへの対応、租税条約濫用の防止、PE認定の人為的回避への対応、相互協議手続の改善などが必要とされました。しかし、世界中の二国間条約を一つずつ改正するには非常に長い時間がかかるため、既存条約をまとめて修正する仕組みとしてMLIが作られました。財務省は、MLIがBEPS Action 2、6、7、14に関する租税条約措置を既存条約へ導入するものと説明しています。
MLIはどのように既存の租税条約を変更するのか
MLIの仕組みで最も重要なのは、ある国がMLIに加盟しただけで、その国のすべての租税条約が自動的に変更されるわけではないという点です。まず、両方の国がMLIの締約国となり、双方がその二国間租税条約をMLIの対象となるCovered Tax Agreementとして選択する必要があります。さらに、MLIには各国が選択できる規定や留保できる規定があり、原則として両国の選択が対応する範囲で初めて既存条約にMLIの規定が適用されます。
したがって、実務では単に「両国ともMLI加盟国か」を確認するだけでは足りず、双方がその租税条約を対象条約として指定しているか、どのMLI条項について双方の選択が一致しているか、留保がないか、その規定がいつから適用開始となったかを確認する必要があります。
また、MLIは通常、既存の租税条約そのものの文章を書き換えて新しい条約本文を作るわけではありません。MLIの規定は、既存条約の対応する規定に代わって適用されたり、既存条約に追加して適用されたりします。そのため、法的には「元の租税条約」と「MLI」を重ね合わせて読む必要があります。
財務省は実務上の利便性のため、多くの国についてSynthesised Text(統合条文)を公表しています。これは既存条約、改正議定書およびMLIの適用関係を一つの文書上で確認できる非常に便利な資料ですが、財務省自身が明示しているとおり、統合条文そのものには法的効力はありません。 最終的な法的根拠は、原条約、Protocol、MLIおよび両国の留保・通告です。
日本はMLIのどの規定を選択しているのか
日本は2017年6月7日にMLIへ署名し、2018年9月26日に受諾書を寄託したため、日本についてMLIは2019年1月1日に発効しました。2026年5月6日時点で、日本は43法域との租税条約をMLIの対象として選択しており、そのうち39法域について相手国側も批准・受諾・承認書を寄託しています。
日本が選択している主な規定には、透明な事業体を通じて取得される所得に関する第3条、法人等の双方居住者に関する第4条、条約の目的を明確にする前文に関する第6条、Principal Purpose Test(PPT)による条約濫用防止の第7条、不動産化体株式の譲渡に関する第9条、第三国PEに関する第10条、コミッショネア契約等を利用したPE回避に関する第12条、特定活動の除外を利用したPE回避に関する第13条、相互協議手続に関する第16条、移転価格課税の対応的調整に関する第17条、および一定の場合の義務的・拘束的仲裁を定めるPart VIがあります。
一方、日本は二重課税排除の免除方式を制限する第5条、簡易的なLimitation on Benefits規定、配当に関する一定の保有期間ルールを定める第8条、自国居住者への課税権を制限する第11条、契約分割によるPE回避に関する第14条などについては適用しない選択をしています。したがって、「MLIが適用される条約だからMLIの全条文が適用される」という理解も正しくありません。
PPT、PEその他の主要な変更点
日本企業にとって実務上特に重要なのが、MLI第7条のPrincipal Purpose Test、いわゆるPPTです。PPTでは、取引または取決めの主要な目的の一つが租税条約上の特典を受けることであったと合理的に結論付けられる場合には、その特典を認めることが条約の関連規定の趣旨・目的に沿うことが立証されない限り、条約特典を否認することができます。
これは、形式的に条約の居住者要件や持株要件を満たしているかだけでなく、なぜその法人・取引・投資ストラクチャーを使用したのかという目的まで問われ得ることを意味します。そのため、持株会社、ファンド、金融取引、知的財産権の保有会社、グループ再編などについては、条約上の源泉税率だけを見るのではなく、PPTの観点から商業的・経済的な理由を確認することが重要になっています。
MLIはPEについても重要な変更を導入します。例えば第12条は、従来の代理人PE規定を利用して契約締結権限を形式的に現地法人等へ持たせないことによってPE認定を回避する、いわゆるコミッショネア型のストラクチャー等への対応を目的としています。また第13条は、倉庫、在庫保管、情報収集等の活動について従来条約上PEから除外されていた場合でも、その活動が準備的・補助的な性格を有するかをより重視する仕組み等を導入します。ただし、これらのPE関連規定も日本と相手国双方の選択が一致した場合に限って適用されるため、各条約について個別確認が必要です。
このほか、法人等が双方の国の居住者となる場合の調整、相互協議手続の改善、移転価格課税に対する対応的調整、一定の場合の仲裁などもMLIを通じて既存条約に導入されることがあります。したがってMLIは、単なる租税回避防止規定ではなく、条約適用の予測可能性や二重課税の解消手続にも影響する幅広い仕組みです。
日本の租税条約ではどのように適用されているか―中国・ドイツ・米国
MLIの効果が分かりやすい例の一つが日中租税条約です。現在の日中租税条約は1983年に署名され1984年に発効した比較的古い条約ですが、MLIによって一部の規定が現在のBEPS基準に合わせて変更されています。
日中租税条約については、MLI第4条の法人等の双方居住者、第6条の条約前文、第7条のPPT、第17条の移転価格に関する対応的調整等が適用されます。MLIは日本について2019年1月1日、中国について2022年9月1日に発効し、日中条約については源泉徴収税について2023年1月1日以後、その他の税について原則として2023年3月1日以後に開始する課税期間から適用されています。つまり、1983年の日中租税条約本文だけを読んでも現在の日中間の条約ルールを完全には把握できず、原条約に記載されていないPPT等がMLIを通じて現在の条約関係に組み込まれています。
一方、日本とドイツの現行租税条約は2015年に署名され2016年に発効した比較的新しい条約ですが、MLIの対象となっています。ドイツ側の必要な通告を経て、日独租税条約についてはMLIの規定が2026年1月1日から源泉徴収税およびその他の対象税について適用開始となりました。日独条約について適用されるMLI規定には、不動産化体株式の譲渡に関する第9条、第三国に所在するPEを利用した一定の条約特典制限に関する第10条、特定活動に関するPE規定を修正する第13条等があります。この例からも、条約の締結年月日だけを見て「新しい条約だからMLI確認は不要」と判断することはできません。
また、すべての主要国との租税条約にMLIが適用されるわけではありません。2026年5月6日時点で105法域がMLIに署名していますが、米国は署名国一覧に含まれていません。したがって、日米租税条約はMLIによって修正される条約ではなく、現在のルールを確認する場合には、原条約、改正議定書、交換公文その他の日米間の関連文書を確認する必要があります。これは、「MLIがあるから現在のすべての日本の租税条約がMLIによって変更されている」と考えてはいけないことを示す重要な例です。
発効日・適用開始日と実務上の確認方法
MLIでは「Entry into Force(発効)」と「Entry into Effect(適用開始)」を区別することが重要です。例えば日本についてMLI自体が発効したのは2019年1月1日ですが、各二国間租税条約についてMLIが実際に適用され始める日は相手国ごとに異なります。さらに、一つの条約についても、源泉徴収税とその他の租税では適用開始日が異なる場合があります。
したがって、ある取引についてMLIを検討する場合には、単に「MLIはこの国について発効しているか」を見るのではなく、対象となる二国間条約について、対象となるMLI条項が、その所得・課税期間についてすでに適用開始となっているかまで確認する必要があります。
実務上は、まず財務省のMLIページまたは「我が国の租税条約等の一覧」で対象国を確認し、その租税条約がMLIのCovered Tax Agreementになっているかを確認する方法が効率的です。次に財務省が国別に公表している「適用関係の概要」またはSynthesised Textを確認すれば、どのMLI条項がその条約に適用され、いつから適用開始となったのかを把握できます。ただし、重要な案件では統合条文だけに依存せず、原条約、Protocol、MLI本文および両国の留保・通告まで確認する必要があります。
まとめ
MLIは、新しい租税条約を作るものではなく、既存の多数の二国間租税条約にBEPS対応措置を効率的に導入するための多国間条約です。
その結果、現在の租税条約実務では、条約本文だけを読んでも現在適用されているルールを把握できない場合があります。Treaty、Protocol、Exchange of Notesに加えて、MLIが適用されているかを確認することが、現在の国際税務では重要になっています。
※本稿はMLIの一般的な仕組みについて説明するものです。実際の適用については、対象国、対象条約、対象となるMLI条項、両国の留保・通告および適用開始日を個別に確認する必要があります。
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